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スイス人、私の家族に会う|英語を話せない家族はどうウェルカムすべき?

前回の記事では、私のスイス人パートナー・イヴが初めて来日し、初日から日本のコンビニとお菓子をそれはそれはエンジョイしたという話をしました。

今回は、スイスから遥々日本にやってきたイヴが、英語とは無縁の生活をしてきた私の家族と初めて対面した時の話をしようと思います。それはそれは愉快でした笑。

国際恋愛を経験した方々の中で「あるある」なのが、自分達パートナーは難なくコミュニケーションを取れるけど、それぞれの家族の話す言語が違うので「お互いの親とは意思疎通が難しい問題」かもしれません。

イヴと私の家族は、まさにそのパターンでした。

<私の家族のプロフィール>

私の母は、近年東南アジアに旅行に行くなど活動範囲が広がってきているとはいえ、「言語は大の苦手」だそうで英語を話したことすらないという強者です。母に、「お母さんも少し会話程度の英語やってみたら?」と声をかけるも、私の通訳があるから大丈夫とハナから私をあてにしています。

私と年の近い妹は、とってもチャーミングでガッツのある性格なのですが実はほぼ海外に行ったことがなく、受験英語で英語に触れて以来久しい状態。フィンランド留学中に妹とビデオ電話した時は、私の隣に座っていたイヴに向かって画面越しに「ハロー」と言ったきり固まってしまうほどでした。強者その2。

そして。父は大学で研究職に就いており英語で論文を読んだり執筆しているので、英語に触れる機会は母や妹よりは多そうです。イヴが来る前に、「お父さんってカジュアルに英語で話せるよね?」と確認したところ、「任せとけ。」とやけに自信満々だったので、きっと会話を盛り上げてくれるに違いないと期待していました。

イヴはドイツ語が母国語で、普段の私との会話は英語、日本語は勉強し始めたばかりなのでまだまだ初心者です。今回、イヴと一緒に日本を旅行して私の家族や友人に会うにあたり、私が心に固く誓っていたことが一つあります。

それは、

イヴがいる場で、周りの人と日本語だけで話さない。基本英語を使う。

ということです。

日本人の私が日本人の家族や友人に向かって英語を使うなんて、“海外かぶれ”のように聞こえるかもしれません。でも私には、自分自身の経験から、絶対にイヴの前では日本語を沢山使いたくない理由がありました。それは、「自分の周りの人が、自分には分からない言語で会話して、何やら盛り上がっている」のは相当に孤独でしんどい経験になり得るからです。

スウェーデン語が母語のフィンランドの親友のご実家に滞在していた時、イヴの親戚家族のクリスマスパーティーに参加した時、研究室の同僚が楽しげに雑談をしている時、スウェーデン語やドイツ語が理解できない私は、周りで何が起きているのか何が話題になっているのかも分からず、ただぽつんとその場に所在なく座っていることしかできなくて、すごく退屈で、何より自分が透明人間になったかのような強烈に寂しい気持ちを味わいました。

もちろん人によって感じ方が様々なのは承知の上ですが、話題に上がっていることについて、何が話されているのか理解できないから「気軽に口を出して会話に参加できない」というのは、殆どの人にとっても辛いだろうと思います。そしてこの感覚は、非英語圏の国で暮らしたことのある人なら共感してもらえそうですが、日本にずっと住んでいる人や、全てが英語で完結するイギリス・アメリカ等に住んでいて(かつ英語が話せる)人には想像し難いのかもしれません。(かつての私もそうでした。)

ということで、

家族には事前に、私は基本英語で話すよと伝えておき、社交的で明るい母と妹はドキドキワクワクしながらイヴを迎え入れてくれました。なんとか、「はろー」、「ないすとぅみーちゅー」と最初の挨拶を突破。父は夕飯が出来上がる頃に帰宅し、みんなが揃ったところで、、、

初めての晩餐スタートです。

テーブルの反対側に座っている私とイヴは画力の関係で省略。笑

しかし、SHIKASI,

いやいやいや、お願いだから、誰か何か喋ってくれれれ???

自分のパートナーが自分の家族と対面して仲良くなる最初の場で、沈黙が食卓を覆うのはまずいだろうということで、慌てて英語でイヴと私の家族に向かって話題を繰り広げようとする私。

私のマシンガントークと通訳で、妹と母に日本語とやや怪しげな英語でも何でも良いからイヴに話しかけることをけしかけ、なんとか沈黙の晩餐を回避。こういうときに、私の母と妹のガッツが助かります。恐らく、母も妹も、ヨーロッパから来た誰かと交流したことはこれまでの人生の中であまりなかったのだと思います。イヴが母と妹にとって、初めての「西洋の人」「異文化交流」だったと考えると、すごく頑張ってウェルカムしてくれたなと感謝しています。

やはり、同じ言語の通じない誰かと話すときに一番大事なのは、発音でも語彙力でも何でもなく、話そうとするガッツと意欲なんだと本当に思います。私も昔、はちゃめちゃな文法や発音でも、馴染みのない場所で、目を合わせて自分と向き合ってくれている人がいるということにすごく救われたことが沢山あります。私のフィンランド人の親友のお母さんは英語が得意ではないと言いながら、私に常に半分英語半分スウェーデン語で沢山話しかけてくれて、とても嬉しかったものです。

私のパートナーにとって、言葉に苦労しながらも自分に興味を持ってくれて良くしてくれる母と妹とは、言葉の壁を超えて割とすぐに仲良くなれたのではないかと思います。

そして父はというと、英語は「任せておけ」と言っていた自信はどこへやら、シャイっぷりを発揮し、なんと夕食・その後私たちが帰るまで一言もイヴに話しかけられないという事態に。黙々と夕飯を食べた後は、本を取り出して読み始め、仕舞いには手持ち無沙汰解消のため、落花生をひたすらパクパクパクパク食べていました。

いやいや、初めて訪問した彼女の実家で、彼女の父親が何も自分に話しかけず目を数回合わせて会食終了したら、誰だって不安になるし、失礼でしょう!と私と母と妹は父親に叱責を入れておきました。(次の日にイヴと会った時は、父は少し頑張ってちょっとフレンドリーになりました。)

シャイっぷりを発揮すべきではないところで発揮した父を目の前に、海外からの誰かをウェルカムするときには、実際に間違っててもいいから英語を話すことへの勇気と、交流の邪魔になる変なプライドを捨てる姿勢が大事なんだなと感じました。

まとめ

何とか沈黙の晩餐を回避し、ガッツと好奇心でイヴをウェルカムすることができました。初めての晩餐後以降、私の家族とは何回か会い、私の故郷でもある福岡へ旅したりもしました。父、名誉挽回なるのか。次回以降に続きます。

私のパートナーが初めて日本に到着した時の様子は前回の記事から。

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この記事を書いた人

フィンランドで修士号取得(MSc), スイス大学院の博士課程在籍中。専攻は神経科学。興味は人間の脳とこころ, フェミニズム, アート, 言語学習。

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